まだ 終わらんよ!
と、中庭の雪だるまーず が頑張っております。
この時期は色々踏ん張りどころがあるわけで
みんなで雪だるまーずに笑われないようにやってきましょうか!
(総務課U
やっとたどり着きました
休みの日ではありますが 雪景色が撮影できるとあれば
出勤せねばなりますまい!
学校好きで 教員になったワタシ(笑)
君らも来たんか!!
記念に雪上ダンスをしてもらいました
気をつけて帰りなさいよ
降雪はおさまりましたが この残雪
これから明日にかけて 凍結!
みなさま どうかご安全に
ESDとは、「持続可能な開発のための教育(Education for Sustainable Development)」の頭文字を取ったものです。
「持続可能な開発」とは、「将来世代のニーズを満たす能力を損なうことなく、今日の世代のニーズを満たすような開発」という意味です。
その実現のために貢献できる、あるいは協力できる地球的な視野を持つ市民を育成するための教育がESDです。
今日は、本校7期生の甲斐田直子先生(筑波大学システム情報系社会工学域助教)に「『開発と環境の両立』~持続可能な社会に必要な要素とは~」という題で、ご講演をいただきました。

甲斐田先生は、「既存市場で評価されていない『環境』の経済的価値をはかる」(つまり、「環境」に値段をつける)ことと、「私たちが『環境にいい』ことをする(しない)のはなぜか?『環境にいい』ことをすると、環境がよくなること以外にどのような効果がうまれるか」などを主な研究テーマにされているそうです。本校の国際系(現在の国際教養学類)ご卒業の甲斐田先生は、国際公務員にあこがれてこの道に進まれたとのこと。

90分という、大学の授業並みの時間で、研究者としての関心や研究成果を詳細にお話しいただきました。
時には、学問の最前線の話を聴くのもいいものです。
後輩への力強いエールに勇気づけられた人も多かったのでは。

講演終了後、希望者との懇談会にもご出席いただきました。
留学のこと、国際貢献のことなど、たくさんの質問が寄せられました。
甲斐田先生は一つ一つの質問に丁寧に答えてくださいました。

甲斐田先生、お忙しい中、本当にありがとうございました。
岡山県南部の住民にとって馴染みのある山の一つに、金甲山(海抜高度403m)があります。岡山市のちょうど南、山頂に電波塔が林立していますので、すぐに分かります。金甲山の東隣にあるのが貝殻山(海抜高度288m)で、山頂で貝殻が見つかるので、その名がつきました。その貝殻とは実は弥生時代の貝塚の貝なのです。
貝殻山のある児島半島は、近世になって本土と陸続きになりました。弥生時代は文字通り島でした。この不便で険しい山の上になぜ人々が住んだのか。しかもごく限られた時期に。謎は深まるばかりです。図の中央、貝殻山山頂に茶色い線で、丸く示されているのが遺跡の位置です。

本校の南に貝殻山が見えます。右の高い山が金甲山。送電線の鉄塔の向こうに見えるのが貝殻山です。

貝殻山は、瀬戸内海国立公園の指定地域内にあり、ピクニックに最適な場所として人気があります。瀬戸内海国立公園は、1934年(昭和9年)に雲仙や霧島とともに、日本で最初に指定された国立公園です。晴れた日には瀬戸内海の島々、四国の山々、岡山市街地から吉備高原と、雄大なパノラマを楽しめます。

貝殻山遺跡は1973・76年に発掘調査が行われ、弥生時代中期後半の住居跡6棟と貝塚が確認されました。瀬戸内海を囲む地域では、「高地性集落」と呼ばれる弥生時代の集落が、各地で確認されています。「高地性集落」はさまざまな時期に営まれたようですが、弥生時代中期後半には二つのタイプが存在していたようです。一つは貝殻山のように、農地などの生産基盤から離れた見晴らしの良い山の頂に数棟の住居が営まれたもので、そのタイプは、瀬戸内海に面した山頂に多く分布し、集落同士お互いに見渡すこともできます。なかでも香川県の紫雲山(しうでやま)遺跡が特に有名です。
もう一つは、水田などの生産基盤に面し、それとの比高が50m未満の丘陵上に営まれたものです。10棟以上、場合によっては数十棟の住居が同時に存在することが多いので、「集落」と呼ぶにふさわしい規模だといえます。。例として現在の赤磐市(旧山陽町)にあった用木山遺跡を挙げることができます。山陽自動車道の、岡山ジャンクションと倉敷ジャンクションの間の丘陵地帯には、同じ時期の土器が多数散布していますので、おそらく同様の遺跡がそこにもはずです。
用木山遺跡は残念ながら山陽団地の造成によって破壊されましたが、赤磐市山陽郷土資料館に資料が展示されています。また、インターネットでも、発掘当時の写真を見ることができます。山陽団地内には公園として古墳を保存しているところがあり、そこではさまざまな時期の土器片を今でも確認することができます。その際は以前お願いしたように、「観察」に徹していただければと思います。
これら二つのタイプの集落は、どちらも集落の営まれた期間が、中期後半の時期に限定され、後期になると集落は山を下ります。
貝殻山遺跡では、6棟の住居跡が確認されましたが、それらは同時に存在したのではなく、同じ時期には1~4軒の住居がある程度だったようです。石包丁など農耕に関連する道具も発見されており、貝も食料にしていることから、海岸や水田に近い集落と密接な関係があったことがうかがえます。おそらく下の集落と行ったり来たりしていたのでしょう。
では、なぜ、こんな場所に人が住んだのでしょうか。祭祀(お祭り)関係の遺物が確認されていないので、祭祀遺跡ではなさそうです。何らかの社会・経済的理由を考えたほうが良さそうです。
弥生時代中期後半というのは、中国の複数の歴史書に記載されている「倭国大乱」の時期ではないかという説があります。西日本では、多くの集団同士が争い、政治的な緊張状態にあったというのです。もしそれが事実ならば、そのような政治情勢を、この遺跡は反映しているのかもしれません。そう考えると、貝殻山は内海航路を監視する絶好の場所だと言えます。生産基盤に面した丘陵地帯に立地した集落も、防御機能を重視したものだと言えなくもないです。弥生時代後期になって多くの集落が平地に下りたのは、新しい政治的秩序ができあがり、不便な場所で生活する必要がなくなったからだとも考えられます。最近の研究成果によると、そう簡単には片付けられないとのことですが、有力な説であることには変わりがありません。
展望台から北に少し登った平坦面上に、住居跡が確認されました。現在は芝草に覆われていますが、発掘調査後も、この付近で土器や石器の破片を確認することができました。どちらかと言えば、南の四国方面よりは北側の本州方面に面しています。

画面中央の、道に面した斜面に貝塚があります。以前は説明用の看板がありましたが、今はありません。そのせいか、貝塚に気づく人は少ないようです。現在は草に覆われていますが、それでも、ハイガイ、カキ、小さな巻き貝などを確認できます。貝塚はゴミ捨て場なので、役に立たなくなったものが堆積しています。掘り返しても骨董品的な価値のあるものは出てきません。でも、ゴミ捨て場でも、研究者にとっては、当時の生活を解明する上で貴重な資料です。この状態のままでじっくり観察をお願いします。目をこらすと、土器片や石器片も見つかるでしょう。

画面左上がハイガイ。貝殻山だけでなく、瀬戸内海沿岸の貝塚で最もポピュラーな貝の一つです。鮮魚店でモ貝という名で売られている貝とよく似ていますが、モ貝というのはサルボウのことです。ハイガイはサルボウやアカガイの仲間ですが、放射状の筋の凸部にごつごつとした凹凸があるのが特徴です。この貝、日本では、絶滅の危機に瀕しているとのことで、現在は有明海で細々と漁獲されている程度です。九州出身の総務課Bは、40年近く前、有明海の干潟でハイガイを大量に捕った記憶があります。あっという間にバケツ1杯くらい捕れたと記憶していますが、今ではずいぶん数が減ったようです。脱線しますが、昨年、有明海で漁業をしている親類から、有明海ではハゼがさっぱり釣れなくなったと聞きました。「干潟の泥が死んどる」とその人は嘆いていました。有明海のハイガイも早晩いなくなってしまうのでしょうか。

貝殻山から北を見た景色です。百間川の河口が見えます。山の手前に見える平野は江戸時代に干拓されたところなので、当時は今より海は広い状態でした。この海域を、かつては「吉備の穴海」と呼んでいました。貝殻山の集落が、内海航路を監視する役割を果たしていたとするならば、むしろ北側に、より多くの目が注がれていたに違いありません。

前の画面から視線をやや東に移した地域です。右手に芥子山(けしごやま)が見えます。

本校から貝殻山が見えるのだから、その逆も可能なはず。画面中央付近を引き伸ばしてみると・・・。

中央に、横長の黒っぽい体育館の屋根と、その左に本校の時計台がうっすらと見えます。手のひらサイズのコンパクトカメラで撮影しましたが、ここまで、解像力があるとは思いませんでした。
貝殻山から南を眺めると、小豆島・屋島・五色台など香川県の島や山が、一望の下に広がっています。北方面はずいぶん景観も変化しているでしょうが、南方面は、弥生時代もこんな感じだったのでしょうね。「弥生の人も、美しい景色を見ながら山海の珍味を楽しんだ」なんて想像するのは楽しいですが、実際はどうだったのでしょうか。

アメリカ合衆国のワシントン州から留学生として本校に来てくれたハンナさんが、半年間の日程を終え、帰国することになりました。人権教育講演会の後、お別れの会を開きました。
校長よりハンナさんの紹介。
生徒代表のお別れの言葉です。
そして、ハンナさんのあいさつ。心のこもった丁寧な日本語で話してくれました。日本語がとても上手でした。
あっという間の半年間でしたね。ハンナのことで思い出されるのは、サッカー部の練習に熱心に参加していたこと、翠緑祭で劇に出演したこと(村娘の役)、本校初の留学生主催のハロウィンパーティーをニコルと企画してくれたこと、図書館でアメリカの文化について講演会をしてくれたこと、帰国直前もITCに参加したことなど、いつも積極的でおおらかな姿が印象的でした。
せっかく友達になれたのに、もうお別れしなければならないのはつらいですが、これからお会いする機会はきっとあるでしょう。ハンナさんもこれから城東ファミリーとしてずっと仲間でいてくださいね。ハンナさんのこれからの人生に幸あれ!
岡山市子ども総合相談所の片山惠子先生に来校いただき、「子ども虐待の現状」というテーマでご講演いただきました。
両親をはじめ、多くの人に祝福されて誕生したはずの子どもが、どうして虐待されるのだろう。 そもそも虐待ってどういうことなの?次々と疑問が湧いてきます。

高校生にとっては、まだ先のことと考えがちですが、今のうちからしっかり学ぶことは、とても大切です。片山先生は、多くの子どもや親と関わられたご経験を交えながら話を進められました。
講演が終わった後、職員室では、「ああ、自分もこんなことしたよなあ」「あんな小さい子どもをあそこまで厳しく叱らなくてもよかったのになあ」という感想があちらこちらで聞こえました。「子ども虐待」とは決して特殊なことではなく、だれでも直面することなのです。そこまで行くか行かないかは、個人の心がけ次第と考えがちですが、どれだけ周りの人たちが子育てを支援してくれるのかが分かれ目のような気がします。子どもも親も逃げ場がある。子どもを無条件に受け入れてくれる人がいる。親の悩みを親身に聞いてくれる人がいる。近所の人たちが自分たちの町の子どもに関心がある。そんな世の中になれば、きっと「子ども虐待」はなくなっていくと思います。私たち一人一人が協力し合って、子どもがのびのびと育っていける社会をつくっていきたいものです。 片山先生、ありがとうございました。
1月30日(木)から2月1日(土)にかけて、2年次生国際教養学類の生徒はITCに行ってきました。
ITC= Intensive Training Camp は2年次のグローバルスタディーズなどの科目で
1年間学習した内容を発表し、全日程を英語のみで遂行するという目的の行事です。
本校のALTであるヨンシン先生も含めて今年は6名のALTが参加してくれました。
ダイジェストでご覧ください。
1月30日(木)
6限後みんなで円陣をくんで、さあ出発。
入所式後、早速モデルスピーチをおこないました。
英語のスピーチの後にフランス語で桃太郎を読んでいきました。
夜の活動は英語ディベート
優勝したチームは翌日ALTチームと対決します。
1月31日(金)
午前中の英語ディベート決勝の様子
ALTs (aff) VS 優勝チーム(Neg) 「Net scalpers should be allowed」
ロールプレイ活動。 与えられた場面に続けて、各班でALTと一緒にストーリーを考えました。
ランチの後は、閑谷観光案内。ALTに英語で建物を説明していきました。
かけつけてくれた総務課Sティーチャーがパシャリ。
観光後、英語ディスカッションの様子。
英語で会話できてますか~??
夕食後、夜の活動。異文化プレゼンテーションの様子。
翌日はいよいよ最終日。この日は深夜まで、翌日の劇の練習を頑張りました。^^
2月1日(土)
午前の活動は昨日遅くまで頑張った英語劇です。
ALTからは絶賛のコメントをいただき、城東のALTヨンシン先生は感動して泣いていました。
そして、最後にITCの振り返りディスカッションをおこない、ITCで良かった点や
英語を学んで将来どんなことがしたいかなどみんなで話し、話し合ったことをいろんな形で
発表しました。
実行委員のみんな、おつかれさまでした。
実行委員長の岡田さん言葉で閉会式を終えました。
3日間、英語のみでの生活はいかがでしたか?
これからも積極的に英語を学んでいきましょうね~。 授業でもまたYellow tape 使いましょう!