岡山城東高校の日々をつづります
岡山城東な日々

学校周辺の文化財(その1)

本校周辺は、縄文時代以降の遺跡や文化財がとても多い地域です。
折に触れて、それらをご紹介したいと思います。
その第1回目は、本校東の山にある古墳です。
本校から西に見える操山山塊は、金蔵山(かなくらやま)古墳をはじめ、古墳の多いところとして知られています。
ところが、本校東の芥子山(けしごやま)山塊は、なぜか古墳の数が少なく、遺跡の分布調査は行われているものの、あまり注目されていません。それでも総務課Bは本校着任以来、気になっていた遺跡がありました。それが本校東に見える山の尾根上にあるとされる古墳です。
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本校の東に迫っている山。よく見ると一番高いところから手前に向けて尾根が伸びています。その尾根上に古墳があるといわれています。

岡山県が作成している遺跡分布地図から拾い出してみると、下の地図で緑色の部分が山なのですが、合計5か所の遺跡(茶色い○印)が確認されています。一番上(北)が古墳。その左下が祭祀遺跡(磐座:いわくら)と考えられる。その右が古墳の可能性がある。右に少し離れたところが祭祀遺跡かもしれない。図のいちばん下で、トンネルのすぐそばの○が古墳とのことで、あまりはっきりしない遺跡群です。今回めざしたのは、いちばん上の古墳です。
遺跡案内図

最近は、このような里山はあまり利用されなくなったため、下草や立木が繁茂しています。夏にはマムシやダニなど危険な生き物も出没するので、冬でないと立ち入れません。
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落葉樹が中心なので、冬ならばなんとか林の中に分け入ることができます。

この山は、カコウ岩の露岩が多く、何らの遺構かなと思える岩もごろごろしています。
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予想通り見通しも悪く、あちこち探ってもそれらしいものがありません。分布図に記載されていても、土砂や落ち葉などの下に埋没していることはよくあります。あきらめて帰りかけた時に、不自然な高まりを発見しました。
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何やら遺跡の雰囲気が漂っています。

ありました。横穴式石室の入り口がぽっかりと開いています。もともとはもう少し手前まで天井石があったのかもしれませんが、石室はかなり原型を保っているようです。
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入り口から内部を見ると、石室の奥壁まで見通すことができます。土砂が石室内に流入して床面は土砂に覆われていますが、内部に入ることは可能です。
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この古墳は、おそらく古墳時代後半期の6世紀ころのものと思われます。遺体を納めた部屋を玄室(げんしつ)といいます。石室の入り口が設けられていますので、亡くなった人を次々に埋葬することができます。ちょうど「○○家之墓」という感じです。
石室の石材は平たい面が内側に向くよう揃えて積み上げられています。奥壁は割と大きい石をでんと据えています。
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多くの場合、遺体は木棺に納められます。床面には小さい石が敷き詰められたようで、その上に木棺が置かれたのでしょう。
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木棺は長い年月の間に朽ちてしまっていますが、専門家が発掘調査を行えば、その痕跡を確認できることもあります。

玄室から石室の入り口を見ると、画面左側の側壁はまっすぐ石室入り口まで伸びていますが、右側の側壁は途中で大きな石が右から張り出し、そこから狭い通路が石室入り口まで続いています。石室の入り口から玄室までの狭い通路を羨道(せんどう)といいますが、この古墳は羨道と玄室の境がはっきりしているのが特徴です。
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古墳には、さまざまな品物が副葬されます。この古墳のように石室内に土砂が流入していると、それらは確認できません。何か珍しいものはないかと素人が石室内を掘ってしまうと、貴重な資料が破壊されてしまいます。考古資料は骨董品的な価値のあるものは少なく、遺構から切り離された遺物は歴史資料としての価値の多くを失ってしまいます。歴史に興味のある方は、くれぐれも歴史の破壊者にならぬよう気をつけていただければと思います。

この古墳も、石室内の床面の一部が掘り返されていました。掘り返された土の上に遊離した状態で土器片を確認しました。6世紀の古墳には、窯で焼いた須恵器が副葬されることが多いのですが、この土器はそれではなく、低い温度で焼かれたもののようです。この古墳の周辺には祭祀遺跡もあるようなので、ひょっとしたら後世の中世土器が混入したのかもしれません。この土器ももちろん、元の場所に返しておきました。
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この古墳のデータが岡山県の資料にありましたので、参考のために載せておきます。このような目立たない地域でも、しっかりと分布調査が行われていることは素晴らしいことです。担当された方のご苦労がしのばれます。データから推察すると円墳だと考えられますが、正式の発掘調査を行わないと、本当のことはわかりません。
径13m、高さ2m、石室全長7.5m、玄室長4.05m、幅1・55m、羨道幅0.8~1.3m

この規模の後半期古墳は、単独で築造されるのはまれで、山の斜面に複数の古墳がまとまりをもって築造され、古墳群を形成することが多いのですが、付近にはこの古墳以外には「らしきもの」が1基確認されているだけです。尾根上に立地していることから、この古墳に葬られた人々は、集団の中でやや特別な地位にあったのかもしれません。

立木で視界が遮られていますが、すぐ前に、本校の時計台が見えます。グラウンドの声もよく聞こえます。この古墳の被葬者はこれからもずっとこの景色を眺め続けることでしょう。
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皆さんのお住まいの地域にも、調べてみると興味深い歴史遺産がたくさんあるでしょう。それらを訪ねて、しばし歴史に思いを巡らせるのもたまにはいいですよ。

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