カナダコースは羽田空港から直行便でバンクーバーを目指します。
羽田空港での様子です。
バンクーバー空港に到着しました。写真からもカナダの雄大さが伝わってきます。
トーテムポールも印象的です。
この写真はLangley Christian Schoolです。城東生への歓迎スピーチをしてくださいました。
カナダコースは羽田空港から直行便でバンクーバーを目指します。
羽田空港での様子です。
バンクーバー空港に到着しました。写真からもカナダの雄大さが伝わってきます。
トーテムポールも印象的です。
この写真はLangley Christian Schoolです。城東生への歓迎スピーチをしてくださいました。
今日は現地の時間に慣れるため、ゆっくり過ごす日です。
朝食の後、パソコンの使い方とWi-Fiの使い方を教えて頂きました。
昼食はサンドイッチ。
その後、キャンパスから徒歩10分のショッピングストリートWestwood Cross へ出かけ、ショッピングタイムです。
こぢんまりしていますが、洋服屋さん、デパート、薬局、本屋さん、カフェなど様々なお店があり、約2時間のフリータイムを満喫したようです。
1ポンドショップ(日本の100円均一)が人気で、お菓子を購入している人も。ATMでキャッシュパスポートも使えました。
夕食後はウェルカムパーティでスタッフの方が考えてくださったゲームやダンス・カラオケなどを楽しみ、時差ボケの人もいますが、皆元気にやっているようです。
明日からはいよいよ授業が始まります!
イギリスコースは仁川空港で乗り換えて、定刻通りヒースローに到着しました。
入国審査に一時間並び、大学寮についたのは22時でした。
今日の夕食(サンドイッチやフルーツ・お菓子)と部屋の鍵をもらってすぐ就寝です。
長旅で疲れているので、時差ボケもすぐに解消できそうです。
7月18日(土)イギリスコース45名カナダホームステイ29名全員無事に出発しました。
挨拶、添乗員さんの紹介の後、チェックインを済ませ、搭乗口へ向かいました。
足取り軽やかに「ステージは『世界』だ!」を体現していく生徒の皆さんを頼もしく思いました。
夏休み初日ということもあり朝の空港は混雑しており、イギリスは少し遅れての離陸でしたが、岡山空港から無事離陸。
さあ、いよいよ16日間の研修の始まりです。
7月17日(金)の臨時休校について
午前10時現在,7月17日(金)7時57分発表の暴風警報が岡山市,瀬戸内市,備前市,赤磐市,和気町,倉敷市に発令されており,生徒手帳p.23「台風,出水などに対する臨時措置」により,本日は臨時休校とします。(午前10時43分,暴風警報は解除されました。)
なお,7月21日(火)の日程は,追ってホームページを通じて連絡します。
台風の接近に伴い
暴風警報が発令されたので
7月16日 5時間目終了後 SHRを行い
生徒は全員下校しました。
保護者のお迎えを待っている生徒は
学校の会議室で待機しています。
7月2日(木)16:15~17:15,
教員対象のSGH課題研究研修会が行われました。
講師は岡山大学大学院教育学研究科の平田仁胤氏で,
「課題研究指導のポイント」についてご教授いただきました。
課題研究に必要な4つの力の紹介の他
なかなか課題発見ができない生徒に対しては,
まず本のタイトルなどを課題として借用し,
そこから問いのフィールドを広げていくビリヤード法の説明などがありました。
教員は生徒の先回りをしておき,
生徒と一緒にやって誘導したり,
あえて気付くまで様子を見たりすることが,
生徒の自主的な研究活動につながるのではないかというご提案でした。
6月30日 7時間目、
2年次生は各クラスごとに翠緑祭に関する話し合いをしました。
文化の部で行うクラス劇の内容や役割を決めたり、
体育の部での出場種目を決めたり、
本格的に翠緑祭に向かって動き始めました。
まだまだ先のようにも感じられますが、
いかに丁寧に準備をし、クラスの結束力を強められるかに、
29th翠緑祭の成功がかかっています。
中心年次としてブロックを引っ張っていく28期生!がんばれ!

GLOBALⅡの時間を利用して国際教養学類2年5組は
大多羅寄宮跡に行ってきました。
学校の近くにこんな国指定の史跡があったなんて。
グローバルな人材になるためには,ローカルなことにも
しっかり目を向けておかなければなりません。
梅雨の晴れ間で天気にも恵まれ,よい研修ができました。
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大多羅寄宮(おおだらよせみや)について
江戸時代に当時の岡山藩主が領内にあった祠や社1000余りを、合祀して社殿を建てたのが大多羅寄宮の由来です。江戸時代を通じて岡山藩からの保護で維持管理されていました。しかし、明治の廃藩置県後に藩の保護がなくなると麓の布施神社に合祀され建物などは無くなりました。その後昭和2年に跡地が国の史跡に指定され、平成18年の整備を経て現在に至っています。


