・・・・ 第24回卒業式の後の24期生① に続きます
各クラス代表からの担任へのメッセージの後は
B年次主任が ステージ中央にうながされました
24期生も芝生中庭にそろいます
3年間の この子たちとの思い出が B年次主任の頭の中を
走馬灯のように駆け巡ります
せっかくですから 以下に 時計台最終号に掲載された
B年次主任からのメッセージを転載します
未来に向かって羽ばたけ
24期生の皆さん、卒業おめでとう。この3年間、息もつけないほど駆け抜けたという思いだろう。晴れの門出を皆さんとともに喜びたい。
皆さんの中には、来年もう一度受験にチャレンジする人もいるだろう。もしそうなったとしても決して引け目に感じることはない。より高い目標に向かってさらに努力するのだから、堂々としていればよい。つらいこともあろうが、それは人生の肥やしとなるはずである。
今年入るか来年入るかの違いはあろうが、皆さんは、大学をはじめとする上級学校での生活に期待していることには変わりがないと思う。何より自由になる。その自由をどう使うか、これから真剣に考えて欲しい。皆さんがそのような自由を享受できるのは、保護者の方をはじめ大勢の人の支えがあってのことである。そのことを忘れず、学び続ける姿勢を維持して欲しい。もちろん若いうちにしかできないことにチャレンジすることもお忘れなく。経済的に許されれば、外国それも観光地のようなところでなく、田舎あるいは発展途上国で1年間ぐらい過ごすのもいい。学生だからそんなにお金を使わなくても何とかなる。でも安全には細心の注意を払うべし。
「皆さんは自由の刑に処せられている」。皆さんの入学時に、このサルトルの言葉を贈った。これからも皆さんは、自分の生き方を主体的に選択していかねばならない。その結果はすべて自分で引き受けなければならないし、自分自身の存在が他へ及ぼす影響は、日増しに大きくなっていく。自分の命は自分だけのものではないことも、やがて強く意識されるようになるだろう。自分は社会とどう関わっていくか、このことは一生かけて追求して欲しい。
しかし、自分の置かれている境遇が、すべて自分の責任に帰するわけではない。自分が苦しんでいるのは、社会のしくみやあり方に問題があるのではと疑問を持つことは大切だ。時としてその疑問は怒りに変わる。その怒りをどう言葉や行動に結びつけるか。自分を責め続けたり、不法行為や暴力におよんだりするのか、仲間と連帯して解決していくのか、そこが人生の分かれ目だ。
社会のしくみの欠陥を個人の責任に置き換えることは、為政者やそれにより恩恵を受ける人々にとっては好都合である。世の中で当たり前として通用していることが、果たして本当なのかそのからくりを見抜くためには、多くのことを学ばねばならない。
たとえ社会の欠陥を見抜いたとしても、それを変えていくためには力がいる。一人ではどうにもならないことも、力を合わせれば動いていく。これからはそのためのネットワークを作っていって欲しい。つまり、他とのつながりを大事にして欲しいということだ。他者とつながっているという確信こそ、これから降りかかるさまざまな苦難から皆さんを守り、生きていく支えとなることだろう。
24期生の皆さん、これからの人生、多くの苦難が待ち構えているだろうが、皆さんは「可能性」という何にも代え難い宝を持っている。どうか自分を信じ、1度しかない人生を、思う存分楽しんで欲しい。
「これから付き合いが始まるんだよ~~~」(ちょっとかん高い声で)
「遊びに来いよ~~~~~」(相当かん高い声でwww)
ええことじゃ!!!
かっこえ~~~
やはり 成人式で若者が粋がって着るのとはわけが違いますな
久々に ドン!!
各HRでは 担任からの最後のメッセージがあり
そのご 各々に 卒業証書が手渡されました
卒業生もそうでしょうが 我々 城東STAFFが昼食にありつけたのは
何時のことだったのでしょうか・・・
祝卒業 スペシャル弁当(笑)
(食べてる最中に 24期音楽学類のみなさんの歌声が聴こえてきたような・・・・ 総務課S)